論文メモ:「ローマ時代の商業と商人のネットワーク」

坂口明「ローマ時代の商業と商人のネットワーク」歴史学研究会(編)『ネットワークのなかの地中海』青木書店、1999年、30–57頁。

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目次
はじめに
1 商人と市場
2 ディアスポラユダヤ人とパウロの宣教 -ユダヤ人のネットワーク
3 オスティアの組合の広場 -船主(navicularii)のネットワークの結節点
4 ルグドゥヌムの殉教者たち -小アジア出身者たちのネットワーク
結び

・ローマによる地中海世界の政治的統一はインフラ整備・治安維持によって地中海世界経済圏の活性化をもたらし、人とモノの移動を促進した。帝国当局は基本的には商業活動に関知しなかったことが商業の発展要因にもなった。加えて、軍団の移動や退役兵の入植が商業活動と現地社会に大きな影響を与え、いわゆる「ローマ化」(都市化、文明化)の促進が商品貨幣経済の広がりにつながった。そうした商業に携わる人のかなりの割合は解放奴隷であり、こうした人々の移動がさらに地中海世界の経済的・文化的一体性を促進、商人たちの独自のネットワークが構築されていった。

・都市ローマはもともとラティウム地方の商業の中心地だったが、ローマ人にとって海上貿易を含む交易は貴族的価値観にそぐわないものであったがゆえ、彼らの商業活動はそれほど活発ではなかったものの、前2世紀には東地中海諸地域にイタリア系商人(出自はギリシア・シリアの被解放者)がいた。彼らは本拠地で職業的・宗教的団体を結成した。前1世紀には東方から西方へと商業活動が進出、その一部は国家事業の請負を通じて利益を蓄積、騎士身分階層を形成する。彼らは帝政期に入ると官僚・士官として社会的上昇を望み、商業活動は再び被解放者によって担われる。ただし彼らの望みもまた大土地所有者となることであって、商業活動は社会倫理的に低く評価されていた。また組合も相互扶助・相互親睦のための交流組織的性格を抜け出すことはなかった。商人たちは自身の扱う品物を都市の市民広場に持ち寄って販売し、月に何度かは週市が立った。彼らは週市のカレンダーに従って都市から都市へと移動し、それによって商業のネットワークが形成された。祝祭に合わせて開催された年に一度から数回の大市にはたくさんの商人が集まり、当局は彼らに免税権を与えることがあった。ただしローマ時代には為替がなく、そのため取引は現金もしくは現物によってのみ行なわれた。こうした市場を監督する政務官は税収入・食糧確保・都市の名声上昇を目的としており、商人や職人の利害は政策に反映されなかった。

・地中海全体に離散したユダヤ人(ディアスポラ)は各地で独自のコミュニティを形成し、ある程度の自治を実現していた。自治権のあるなしに関わらず彼らは共同体の中心として会堂を建設、礼拝を行なっていた。彼らの多くはヘレニズム文化を取り入れ、のちのキリスト教布教の土台となった。とはいえ彼らは民族の故郷パレスティナとの関係を維持しており、律法解釈や祭典日の決定を律法学者・祭司に頼っていた。加えてイェルサレム神殿への寄付が義務付けられており、重要な祭典日にはイェルサレムに集まった。彼らの生業は多岐にわたるが、比較的に商人・職人の割合が高かった。「異邦人の使徒パウロユダヤ人のネットワークを活用し、各都市のユダヤ人コミュニティを中心に布教活動を続けた。宗教の伝播においてはこうした人的ネットワークが重要な役割を果たしたと考えられる。

・ローマの外港オスティアは古くから重要だったが、共和政後半~帝政初期の海外からの穀物輸入の高まりを受けてさらにその重要性を増した。クラウディウス帝、トラヤヌス帝による港湾整備を経てオスティアは大きく繁栄、多くの商店や倉庫が建設。現在の遺跡には「組合の広場」と呼ばれる遺跡があり、その柱廊には船主・商人組合の事務所が置かれていた。これらの組合は商人・船主らの出身地ごとに結成され、他都市に住む同郷人との結びつきも維持していた。「オスティアの組合の広場は、地中海世界全域の船主や商人のネットワークの結節点だった」(52頁)。また組合は穀物運搬事業を負担することで国家から保護され、出身地での国家奉仕負担を免除された。

・ルグドゥヌム(現リヨン)は属州ルグゥネンシスの首都であり、ローヌ川を中心とする河川体系を通じて地中海・ガリア・ゲルマニアとの交易を可能とする地点にあった。177年にこの地で生じたキリスト教徒迫害事件は、信徒が東方のキリスト教会に送った手紙(エウセビオス『教会史』所収)からその詳細が知られる。迫害を受けた信徒のうち半分弱は東方系の名前を持ち、さらにルグドゥヌムの司教・助祭や同市の有力者もそこに含まれることから、同市の教会はむしろ東方、特に手紙の送り先であった小アジアの教会との深い関係を持っていたと推測される。加えて後任司教もまた小アジア出身のエイレナイオスだった。しかしルグドゥヌムにおける東方出身者の存在感はキリスト教会に限定されたのではなく、同市には多くの東方出身者が居住し、東方系諸宗教の礼拝も行なわれていた。

・ローマ時代の人々にとって商業・市場は確かに生活面で欠かせない要素だったが、それは都市部の住民に該当する事実であっても、人口の大部分を占める農民にとってはそこまで重要ではなかった。商人の社会的地位は依然として低いままで、やはり大土地所有・経営が貴族に好まれていた。とはいえ、商人はそうした農民・土地経営の生産物を運び取引した点で重要であり、彼らのネットワークを通じて「各種の情報、生活様式、思想、宗教など」(56頁)が運ばれた。