論文メモ:「ローマ帝政時代の家族と結婚」

論文メモ:南川高志「ローマ帝政時代の家族と結婚」前川和也(編著)『家族・世帯・家門 ‐工業化以前の世界から-』ミネルヴァ書房、1993年、174–200頁。

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目次
1 ローマ家族史研究の現在
2 ローマ人の結婚
3 配偶者選抜における理想と現実
4 近親婚と皇帝家の結婚
5 「新しいローマ人」の結婚

• 従来のローマの家族史研究には大きく分けて三つの傾向があった。1、法制史的視角・方法による家族・親族集団の法的・社会的意義の解明。2、社会史・日常生活史のアプローチによるローマの家族の実態の解明。3、共和政後期~帝政成立期における政治史において家族・親族が果たした役割の解明。しかし1980年代以降、ローマの家族そのものを非常に広範囲にわたる問題関心から研究対象とする動きが盛んになった。また「家父長制的大家族」という従来のイメージは、1967年のクルックの研究、1980年代のサラーやショウの研究によって覆され、ローマの家族は「核家族」とされた。これらの研究動向を受けて島田誠は「ドムス的結合体」の政治史における意義を論じたが、サラー説に対しては樋脇博敏による批判があり、最近には「核家族」の実態をさらに複雑な集団として捉えたり、近親婚の頻度をめぐってもサラーがそれをまれとするのに対し、トレジャリはそれが頻繁であったと論じた。


• 本稿では家族・親族史研究と帝政期政治史を架橋し、最終的には家族・親族関係のレベルから皇帝の実態を明らかにすることを目的とする。具体的には結婚についてのローマ人の意識を配偶者の選抜に注目して分析する。弓削達プリニウス書簡1.14を引用し、配偶者選びの最大の基準は財産の多寡にあったと主張したが、南川は家柄の釣り合いが第一の基準だったと主張する。またトレジャリによれば、配偶者選抜の基準は古典期ギリシア以降キリスト教ヨーロッパに至ってさえもほぼ変化していないという。しかし南川は、その基準内部での評価のレベルは時代に応じて変化していると想定する。そして上層市民男性の出自や家産、現在から将来における公職就任の程度を「家」の問題に関わる要素とみなし、それらが配偶者選抜基準としてどの程度機能したのかを分析する。


• ローマ帝政期の諸史料から導出される結論は、配偶者の選抜基準の理想と現実の甚だしい差異を示す。すなわち叙述史料において、身分差のある結婚はしばしば忌避されるべきものとして示される一方、現実には早くも共和政期から身分差を伴う通婚(元老院議員と騎士身分)がみられ、帝政期には元老院貴族家系の再生産能力の低さ、激しい流動性を背景にさらに一般化した。他方、トレジャリや樋脇は同じ背景のなか、家族的紐帯の弱体化を防ぐ一つの方策として近親婚が選択されたと主張する。しかしプリニウスキケロの書簡集には、配偶者の家系が配偶者選抜において重視された形跡はない。そこでローマ人における近親婚の程度やそれに関する意識を探る必要がある。
• ローマ人の近親婚をめぐっては、研究史上、その習慣性を否定するサラーとショウの説と、トレジャリと樋脇のように近親婚の多さを主張する説が対立している。整理し分析すべき論点は多いものの、ここではとりあえずトレジャリの述べるように、平行イトコ婚のみならず交叉イトコ婚をも考慮に入れつつ、皇帝一族の結婚を分析してみる。アウグストゥスからセウェルス朝期までを網羅的にみてみると、やはりアウグストゥス一族内部の近親婚の網の目の密度は例外的事例であると分かる。また近親婚の利点として挙げられる親族集団の結束強化や権力・財産・地位の保持は、皇帝家の場合、帝位継承資格者の増加による権力構造の不安定化という欠点を表面化させる方向に働いた。皇帝家の事例をローマ人一般に安易に適用することは慎むべき。


• 皇帝家を離れて上層民に目を向けてみると、元首政時代のエリートにとって結婚は個人と家の社会的上昇の戦略の一つだった。まずは同郷等の近しい間柄から始まるその繰り返し・積み重ねはやがて帝国全体レベルでの広範囲な人的関係を作り上げた。元首政時代を通じての政治史のなかで、その人的関係が生み出したと思われる親族意識や感情は元老院議員階層を結びつけるのに貢献し、元首政という支配システムの維持につながっていたと言えるだろう。