ヒエロニムスと『皇帝史』

今日読んだ論文。


R. W. Burgess, "Jerome and the Kaisergeschichite", Historia 44/3, 1995, 349-69.
(「ヒエロニムスと『皇帝史』)


これまでいくらか紹介してきた4世紀の歴史家の著作のうち、ラテン語で書かれた著作には共通する一つの史料、つまり種本があったはずだ、という考えが19世紀に提起されました。提唱者の名前から『エンマンの皇帝史』あるいはドイツ語表記で"Kaisergeschichte"(皇帝=Kaiser、史=geschichte)と呼ばれるそれは、現存はしないものの、数々の研究によってその存在が推定されていました。しかし1970年代以降、この存在を疑い、研究者たちの想像の産物にすぎない、とする考えが登場し、しばらく『皇帝史』に関する研究が停滞する、という状況があったようです。


しかし1990年代に、この論文の著者であるR. W. Burgessによって再びその存在が強く主張されます。彼は一連の論文で『エンマンの皇帝史』を扱い、並行して『皇帝史』に関連する様々な史料をも論じています。今日読んだ論文はなかでも、4世紀末〜5世紀初頭のラテン教父ヒエロニムスその人が書いた『年代記』(カエサレアのエウセビオスが書いたギリシア語の『年代記』をラテン語に翻訳し、さらに自身の時代までの出来事を書き加えたもの)を中心に据えて、それと『皇帝史』の関係を論じるものです。


この論文は前半部で『皇帝史』に関するこれまでの研究を概観します。エンマンによる提唱からden Boerによる存在の疑問視、そしてBurgess自身のden Boerに対する批判が展開され、改めて『皇帝史』の存在を主張するため、ヒエロニムスが引き合いに出されます。ヒエロニムスはこれまで、『年代記』を執筆する際にエウトロピウスを利用してきた、と考えられてきました。しかしBurgessは、ヒエロニムスの主な種本は、アウグストゥスの時代から357年に至るまではエウトロピウスではなく、エンマンが提唱した『皇帝史』であると考えます。それを論証するため、論文の後半部で実に50箇所ものヒエロニムスの文章がエウトロピウスと比較され、同時に『皇帝史』を利用したとされる他の歴史家の著作とも比較がおこなわれます。


Burgessの研究は2000年代に入っても継続しているようで、他にも『皇帝史』を扱う論文が公にされています。4世紀前半を研究対象とする身にしてみれば、『エンマンの皇帝史』に関する問題は非常に興味深く、また知っておかねばならない問題だと思います。一つの研究テーマたりうる問題ですし、一度突っ込んだ検討をしてみるのもいいかもしれません。