論文メモ「後期ローマ帝国における聖域の変容」

田中創「後期ローマ帝国における聖域の変容 ‐州民と政府の関係を通じて」『古代地中海の聖域と社会』, ed. by 浦野聡 (勉誠出版, 2017), pp. 255–295頁。

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  • 本論文の目的は「キリスト教化」が進んだ4世紀ローマ社会の宗教的・政治的状況を、中央の宗教政策とそれに対する地方の反応、中央と地方をつなぐ州総督の役割に注目しつつ明らかにすること。帝国の「キリスト教化」をめぐって、従来の研究においては皇帝側のイニシアティブが強調されてきたが、近年では受動的な皇帝のあり方、勅法の効力の限定性が指摘され、その結果地域社会における勅法の運用の実態およびその担い手に注目が集まるようになった。さらに当時のローマ社会における宗教的混淆という実態も見逃せない。第一節では人々の心性に注目、キリスト教対異教という二項対立を再考する。第二節では人々が中央政府の宗教政策、特に皇帝の信仰表明に対して個人レベル・地方レベルの双方において敏感な反応を示し、皇帝の信仰に賛同を示すことで中央から利益を引き出そうとしたことを明らかにする。最後に第三節で、そうした関係性のなかで聖域の変容に州総督が果たした役割を検討する。
  • フリュギアのゾシモスなる人物が聖書とホメロスを占いに併用、エピファニオスの伝えるアレクサンドリアとペトラでの処女神崇拝、エフェソスのアルテミス神殿における殉教者崇拝(5世紀初頭)、これらの事例が示す宗教的混淆状態。異教徒の中にも供犠忌避者がおり、勅法による偶像崇拝や供犠執行の禁止は一律に反異教的とはみなせない。人々は宗教の混在に寛容(キリスト教ユダヤ教のアンティオキアにおける共存)。
  • ローマ帝国の宗教政策は皇帝の意向によって容易に変わり得る。同じ皇帝の治世でも時期に応じて差異が見られる。皇帝の意志は書簡や勅法(皇帝自身の信仰があからさまに示されることさえある)、あるいは行動を通じて示される。都市への恩恵がその都市の信仰に応じて付与されることもあり、むしろ都市は恩恵獲得の為に積極的に皇帝の信仰に対する支持を表明した。共同体レベルでの対応と同様、個人レベルでの改宗およびその誇示も柔軟になされた。
  • 帝政後期における聖域、特に神殿施設については、複数の異なる宗教神域の隣接状態、それに端を発する社会的緊張状態の現出可能性がまず挙げられる。他方、既存の神殿施設の転用事例がしばしば見られる。なかでも司教による教会への転用申請事例が最も多い。皇帝から個人への神域付属の土地の下賜、建築材の転用許可も実際には少なくなかったと考えられる。このような地方からの要望とそれに対する中央の許可によって、神殿施設は教会や公共建築、個人宅など様々に転用されたと考えられる。逆にこうした働きかけによって既存の神域が保護された事例もある。「聖域空間の改変には地方側の自主的な働きかけが大きな役割を果たしていたと考えられよう」(281頁)。こうしたメカニズムのなかで、州総督は限られた任期ゆえに地方との関係性をそれほど蜜に築けなかったものの、現地における重要な決定権者として神域関連の係争や政策を左右でき、また公共建築の維持・管理における責任者という役割において、その地方における神域の変容のあり方に相当の影響を及ぼし得たはず。