論文メモ:Harries1978 Church and State in the Notitia Galliarum
Harries, J. (1978). Church and State in the Notitia Galliarum. Journal of Roman Studies, 68, 26–43. https://doi.org/DOI:10.2307/299625
Contents:
(intro)
The Rubric
The Evidence
Case Studies
(a) Belgica II/ (b) Lugdunensis III/ (c) Alpes Graiae et Poeninae/ (b) The south-east
The Missing Bishop
The Headings
The Castra
(a) Lugdunensis I/ (b) Maxima Sequanorum/ (c) Narbonensis I/ (d) Novempopulana
The Historical Context of the Late Fourth Century
Appendix
• ローマ帝国ではアウグストゥス以来、属州と都市のリストが行政・司法における使用目的のために作成されていた。帝政後期には官僚制の整備とそれを背景とする記録文書の利便性向上の需要を背景に多くのリストが作成、Notitia DignitatumやLaterculusのような史料が現存。それらは行政改革の時代に必須であり、本稿が取り上げるNotitia Dignitatumもこの文脈に当てはまる。そこにはガリアの17属州、各属州首府とその他のcivitatesが記され、ガリア管区と五属州管区に分類されている。その作成年代は内的証拠から4世紀末から5世紀初めと推定される。少なくともグラティアヌスの正帝推戴以降で、terminus ante quemは407年(他史料から明らかなそれ以降の変化が反映されていない)。しかし本史料に特徴的なのはガリアのみを扱う点と、castraの記録基準が特異かつ当時の軍事的現実と対応していないように見える点。そして本史料はのちの写本における修正などから明らかなように、教会内で利用されていた。そこに問いが生まれる。Rivetはモムゼン説を復活させ、本史料は作成当初から司教管区のリストだったと主張。だとすると本史料は属州行政の情報源としては利用できない。この説はJonesの主張と対立している。この論争は後期ローマ時代ガリアの行政史・教会史の見方に大きく影響する。
• 本稿はNotitiaは secular in origin(p.27)だが、おそらく6世紀に教会で利用すべく改変されたと主張する。
• 本史料の最初期の写本(とその派生)に付された題名と書きこみ。本史料が司教の求めに応じて作成されたこと、その目的は古代からの規律を保存することにあることを明言。このことは作成の背景に教会管区司教座の地位をめぐる争いがあったことを意味。その争いを特定することはできないが、重要なのは本史料が古代、すなわち作成時の4世紀後半の情報を保存していること。おそらくこの書きこみはその情報が忘れられそうなころになって付加された。帝政後期にはmetropoleisは属州総督の所在地にして行政の中心地であり、様々な特権を付与された。しかし本リストにはRivetが指摘したように、4世紀末のガリア属州行政との相違点がある。本稿はしかしそれに対して、本リストと当時の教会構造との相違点のほうがはるかに深刻であると主張する。利用できる史料の乏しさ、性質が分析を制約するが、ここでは第2ベルギカ属州、第3ルグドゥネンシス属州(首府トゥール)、属州アルペス=グライアエおよびポエニナエ、そしてガリア南東部のケーススタディを行なう。
• 本史料が教会で作成されたものとすると、portus Nicaensis(ニース)の不在が説明できない。そこには少なくとも614年まで司教座が存在。むしろリストにおけるその不在は4世紀末の行政状況を反映。
• 教会はローマ属州の行政構造を踏襲したが、ガリアにおける二つの管区の代官に対応する地位は教会内に設置されず。本リストがガリア属州を管区に対応するよう分割していることは、本リストの世俗的出自を示す。
• 本リストにおけるcastraは全て5世紀以降に教会内での使用のために付加された項目。ケーススタディで検証したcastraはいずれも6世紀の司教座であり、4世紀にまで確実に遡ることはない。
• 本稿の議論から導出されるまとめ:本リストはsecular and shorter(p.36)で、メロヴィング期ガリアにおける教会の状況を反映する追記を経ている。
• Notitia Galliarumには4世紀の他史料(アンミアヌス、フェストゥス、ポワティエのヒラリウス)そしてウェローナ・リストと比較して、第3ルグドゥネンシス属州とルグドゥネンシス=セノニア属州(当初の名前はマクシマ=セノニア)が加わっているという違いがある。1938年にH. Nesselhaufは、本リストに反映される属州再編はマグヌス=マクシムス治世に帰されるとの説を発表。その根拠はマクシマ=セノニアなる命名。この説は本史料がガリアのみを対象にしていること、マグヌス=マクシムスは行政機構を整備しただろうという状況証拠によって補強できる。マクシムス治世における属州再編はヒスパニア出土の碑文によっても証明される(AE 1957, 311=311 AE 1960, 158)。マクシムス治世の地方行政については史料に断片的に言及があり確認可能。本リストがマクシムスの属州再編の記録だとすれば、教会史料におけるマクシムス描写を補正する重要な情報源となる。(以上)