古代末期都市ローマの碑文にみる元老院貴族の心性

文献メモ:G. Alföldi, 'Difficillima Tempora: Urban Life, Inscriptions, and Mentality in Late Antique Rome', in: Urban Centers and Rural Contexts in Late Antiquity, ed. by Thomas S. Burns and John William Eadie (East Lansing, 2001), pp. 329.

 

ディオクレティアヌス以降のローマ帝国では都市ローマは政治生活の中心ではなくなっていた。しかし逆に元老院貴族らが都市における影響力を回復し、都市生活の社会秩序を元老院貴族と民衆という区分と共に維持していた。従って、ローマ市住民が国家を、またurbsの変遷をどのように考えていたのかは興味深い問題となる。本稿は、古代末期ローマ市の支配階層がどのように自己を表象し、彼らが彼ら自身の状況と問題についてどのように考えていたのかを考究する。分析対象は主に碑文、近年のCILの公刊による研究の進展が背景。もちろん碑文に示される認識は必ずしも現実に即しているとは限らない。にもかかわらずそれらと現実とには対応関係が見いだされるし、彼らがどのような問題を矮小化しているのかも重要な問いとなる。アンミアヌス=マルケリヌスのように、古代の歴史家は自身の時代を過去に比して批判的に見つめる傾向がある。しかし碑文は逆に個人や集団を顕彰すべく建立される。それゆえ、碑文が何らかの問題に言及するのは適切な解決方法が見つかった場合のみ。こうした一般的傾向において興味深いのは、古代末期の都市ローマの碑文には必ずしも楽観的ではない雰囲気があること。

 

・貨幣と同様に、皇帝顕彰碑文は常に全てが上手くいっているかのような印象を与える。逆に貴族の碑文は現代を黄金期とはみなさない。例えば357359年の市長官オルフィトゥスの碑文(少なくとも像が4体、同一の文言が現われることから彼自身の意図で刻まれたと推測される)は、彼がdifficillima temporaを切り抜けたことを明言。これはマグネンティウス反乱自体のみならず反乱後における元老院の政治的難局を指す。ここでは彼らの遭遇しうる難局として、特定の集団による特権の侵害や類似のfraudes、食糧不足、公共建築の荒廃に注目する。これらの問題は帝政前期にも存在したが、それが碑文に言及されるようになったのが帝政後期の特徴。

 

・第一の問題について、タッラキウス=バッススが375376年に発した勅令の事例。tabernariiによる公金流用や劇場での特別席の占拠、無料でのパン受け取りの権利に対する禁止令、そこには実名のリストが付されていた。次にfraudesの事例、皇帝と市長官の勅令の差異の分析。市長官は厳しい処罰を明言しつつそのhumanitasを強調、そこに貴族たちの自己表象が表れている。ローマ市長官は特権を侵害する集団と戦い、厳しく罰する人物として現われる。それは帝政前期とは異なる姿。

 

・第二に、食糧供給は帝政前期以来の問題、その解決に成功した人物は顕彰の対象に。帝政前期には食糧不足という状況の具体的描写は碑文には見られないが、後期にはしばしば見られるように。307308年の市長官テルトゥッルスの事例、彼による具体的対処や民衆のなかに生まれた不穏な雰囲気に言及される。

 

・第三に公共建築の荒廃の問題。4世紀以降新築事業は極めて少なく、少なくとも形式上皇帝もしくは元老院によって主導。379383年のグラティアヌス他の命によるアエリウス橋近くの勝利門建造、406年に元老院の命でアルカディウスらを称えるための勝利門建造の事例。しかし圧倒的に多いのは再建・修復事業。そのほとんど(ホノリウス以降は全て)政務官、たいていは市長官が事業責任者として示される。荒廃の原因として経年劣化・自然現象のみならず人為的被害にも言及。また修復の遅れが明言されることも。

 

・個々の顕彰碑文はそれが対象とする個々人のみならず、それを通じて彼らが属する元老院貴族全体に対する敬意を喚起するような文言を備える。すなわち、都市ローマの諸問題は彼らによって解決されている、彼らのお蔭で都市ローマの社会秩序が維持されている、というメッセージを発している。そして彼らは彼ら自身の名声が(皇帝同様に)不朽であることを明言。彼らにとってローマはまさに「永遠の都」であり、それは貴族の永遠性に由来していた。

 

・碑文史料に現われるイメージはもちろん一面的。彼らの自己表象と現実との差異を最も良く示すのがペトロニウス=プロブスの事例。碑文とアンミアヌスの叙述の比較、碑文からは分からない彼の人格の負の面。加えて、碑文では元老院階層は同じ価値観・振舞・徳を備えた均質的集団として提示される。特に彼らにとって、宗教的信条に関わりなく、古典ローマ文化の精神に則った教養が最重要の徳だった。後期ローマ貴族は彼らを取り巻く困難さを認識、それはシュンマクスも認める。しかしながら碑文では彼らの世界は理想化される。彼らにとってローマ市は永遠の存在、なぜなら不朽の徳の体現者たる貴族によって統治されているから。おそらくこうしたメッセージはフィクション。だが都市ローマ住民の大部分がそのフィクションを歓迎したことも確か。後期ローマ貴族の心性は、古き良き永遠のローマという夢と、過去の地位を失ったローマという現実という矛盾に占められていた。