論文メモ:J. Marincola, "Speeches in Classical Historiography"

J. Marincola, "Speeches in Classical Historiography", in: J. Marincola (ed.) (2007), A companion to Greek and Roman historiography, Malden, MA: Blackwell Pub., pp. 118- 132.

 

https://onlinelibrary.wiley.com/doi/book/10.1002/9781405185110

Contents:

  1. Introduction
  2. Writing Speeches: Truth vs. Probability?
  3. Conventions
  4. Past and Present

 

ギリシア・ローマ世界における演説の重要性は言うまでもない。彼らの世界は演説にあふれており、特に自由な政体のもとで演説が栄えた。それゆえすでにヘカタイオスのときから、歴史叙述作品には演説があふれていた。批判もあるにはあったが、それは演説の挿入による叙述の中断・統一性の阻害に対する批判であって、演説の挿入それ自体に対するものではなかった。弁論術があらゆる教育の基盤であり、歴史家自身が公人として演説を披露したがゆえに、弁論家と歴史家は密接な関係にあった。歴史叙述において演説は人物描写・動機・行動の決定要因の説明として用いられた(例えばトゥキュディデスにおけるクレオンとディオドトスの議論)。あるいはヘロドトスやディオのような政体論議として(Herodt.3.80; Dio 52.1-40)。特に古代人は演説によって演説者の人物を描写した。さらには物語のクライマックスとしても機能した。

 

・古代において演説を一言一句記録することは極めて困難で、歴史家はたいてい「このようなこと」という留保付きで演説を記録した(短いものは時に例外)。他方演説の内容に関する問題は、演説の二通りの解釈をもたらす。歴史家は実際に話された事柄を見つけ出し再現しようとしていたのか、それとも、演説者と状況に「適合する」appropriate事柄を作り出したのか。だが、おそらくその二つは常に併存していただろうから、問題の立て方を変えて、文学的クオリティと歴史叙述の社会的機能に目を向けたほうが良い。トゥキュディデスは演説を記す際二つの方法をどちらも用いると述べていた(1.22.1)。彼にとって逐語的な演説の再現は不可能でないにせよ困難だったので、その場合には演説者とその状況に即して、彼が述べそうな事柄を構築した。だが、同時にそれらはトゥキュディデスの文体や語りに即してformalizedされ、著者による選定・解釈を経たものであることにも注意が必要。特定の人物と状況にふさわしい演説を構築しなければならない、という古代人の考え(カッリステネス FGrHist 124 F44)について、「修辞的」と「歴史的」の二項対立を持ち込んではいけない。例えばトゥキュディデス7.77でのニキアスの演説は、それ自体が伝わっていたとは考えづらくトゥキュディデス自身の筆によるが、それは彼がニキアスの人物・状況に即して「こうであったに違いない」との確信のもと作成した演説だった。そしてトゥキュディデスは同時代の証人であるがゆえに演説内容に信を置くことができる。彼の方法論はポリュビオスに受け継がれ、そのことはポリュビオスの叙述における演説以上にティマイオスとの論争部分に明白(12.25-26)。またポリュビオスは言葉と行動の一致(言葉が行動の引き金となる)を重視するがゆえに、不適切な演説は読者を混乱させると考えた。またそれゆえに適切な演説の報告が、歴史の「実用性」すなわち教訓的性格と密接に結びつく。ポリュビオスによるティマイオス批判の分析。ただ、だからといってポリュビオスの演説のほうが史的信憑性が高い、というわけではない。彼の基準は歴史叙述が公生活に有用か否かにある。ただ好古心を満足させるという目的の歴史叙述も確かに存在し(ディオニュシオス『ローマ古代史』)、そこでは演説はまた異なる機能を持った。ディオニュシオス『トゥキュディデス論』の分析。

 

・歴史叙述における演説の慣習的側面について。古代弁論術は演説を三種類に分類(法廷、政治、演示)。このうち歴史叙述に記録されるのは当然ながら大半が政治弁論(ポリュビオスはさらに三種に分類、12.25a.3)。法廷弁論の事例も少ないが存在。問題となるのは演示弁論で、歴史叙述というジャンルとその目的が重なり合うため二つの違いが問題となる(ポリュビオス12.28a.8-10)。近年は会戦前の将軍の演説が注目されている(兵士ではなく読者に向けた演説として読み解く)。歴史叙述中の演説が著者自身の方言・文体・言語を用いているという慣習。別の慣習として、すでにテクスト化され公刊されていた演説は避ける慣習。これに対し、歴史叙述のなかでその著者により再現された演説は、その後継者によって自由に改変された(それが当然視されていた)。

 

・歴史叙述における演説は三つの点で過去と現在をつなぐ媒介であった。第一に先行テクストへの引喩あるいはその模範化、第二に話し手による歴史的範例の引用、第三に時代錯誤、いわば演説の「現代化」。第一の例は例えばサッルスティウスによるトゥキュディデスの模倣。第二の例はヘレニズム期以降盛んになる。加えてそのころには弁論家も実際に歴史的範例を利用するようになり、歴史叙述におけるその引用もより複雑化。第三に、歴史叙述中の演説はそれが書かれた当時の社会の規範、心性を反映するようになる。説得すべき相手の価値観に合わせているから。