Arnold Hugh Martin Jones(1904-1970)

後期ローマ帝国を研究する人にとっては間違いなく参照しなければならない、基本文献があります。

The Later Roman Empire, 284-602: A Social, Economic, and Administrative Survey

The Later Roman Empire, 284-602: A Social, Economic, and Administrative Survey

The Later Roman Empire, 284-602: A Social, Economic, and Administrative Survey

The Later Roman Empire, 284-602: A Social, Economic, and Administrative Survey

A.H.M.Jones著 The Later Roman Empire,284-602 vol.1&2

1964年に発行された、上下巻合わせて実に1518頁(!)という大著。卒論を書く際に先輩から紹介されてこの書物と出会い、修論の際にも
大変お世話になった書物です。第一部317頁まではディオクレティアヌス帝(の前に2・3世紀の概観があるのですが)からユスティニアヌス帝までの
通史を扱い、第二部では行政機構・社会構造などの詳細な説明がなされます。アメリカの研究者R.MacMullenが述べるように、後期ローマ帝国についての
大事典としても利用できます。



さて、この書物を紹介したのは、その著者であるA.H.M.Jonesについて紹介したいと思ったからです。とはいえJonesは後期ローマ帝国だけを
研究していたわけでは決してなく、アテナイの政治やら元首政初期ローマの刑法やら裁判やら(僕はそちらにはまだまだ不勉強です)も研究しています。
個人的にはGarnseyなどど一緒に1960年代のJRS誌上で暴れまわっていた、じゃなかった活躍しまくっていた印象もあります
最近研究室にOxford Dictionary of National Biographyなる人名事典が入りまして、ふとそれを手にとって試しにJonesの項を開いてみて、その時初めて
Jonesが故人であることを知ったのです。


Jones,Arnold Hugh Martin(1904-1970)1904年3月9日生まれ。
オックスフォード大学で学び、同大学で教鞭をとった。初の著書はA History of Abyssinia(1935)で、1937年にはCities of the Eastern Roman Provincesを出版。
その後Athenian Democracy(1957)、Studies in Roman Government and Law(1960)などを出版し、1964年に上記著書を出版する。


「Jonesは背が低く、いくらか猫背で、砂色の薄い頭髪と鋭い目を持っていた;早口に、やわらかく、
ぎくしゃく話す(そしてあまり魅力的ではないが、同じように教える)人だった;言葉は少なく、無駄話はしなかった。…
 引退が迫っていた1970年4月9日、ブリンディシからパトラスへと向かう途中の海上でJonesは突然亡くなった。
彼は以前からさまざまな病気に罹っていたが、それが彼の溢れる著作活動を妨げることはほとんどなかったのである。…」


僕にとってLater Roman Empireは大切な書物で、だからこそJonesが故人だと知ってショックだったのです(正確には、此岸の人ではないだろうな、と思って
いたものの、はっきり事実を突き付けられて驚いた、というところ)。反面、Jonesの人柄とか外見について知ったのは嬉しかったです。
これからLater Roman Empireを読むときにはJonesが前かがみ気味に机に向かっている姿を想像しながら、肩肘張らずに読めるというもの(笑)


というわけで、これから本を読むときには、その内容だけではなく、その著者についても知っておくのがよいかもしれないな、と思いました。