「簒奪者」あるいは「暴君」

今日読んだ論文:Wardman,Alan,E."Usurpers and Internal Conflicts in the 4th Century A.D.",Historia bandXXXIII heft1,1984.

表題の通り4世紀における「簒奪者」や内乱について扱った論文…なのですが、期待した内容とはちょっと違っていました。4世紀にローマ帝国で皇帝を名乗った人物についての論文かと思っていたのですが、前半は史料における「簒奪者」や「僭主」「暴君」を表す言葉を検討したり、後半も問題を提起するばかりで明確な答えはなかなか提示されず、ちょっと残念でした。あまり偉そうなことは言えませんが。


とはいえ、確かに「皇帝」という存在に明確な規定がなかったのがローマ帝国ですから、誰が簒奪者で誰が正統な皇帝なのか、という問題には答えが出ないのではないかと思います。上記の論文によれば、たとえば「暴君」と呼ばれたか否かという基準ではアラリックでさえも「簒奪者」になってしまう(つまり論理的には「皇帝」になってしまうわけですが、アラリックはそう名乗った形跡はなかったと思います)。また「勝者」「敗者」という枠組みではコンスタンス、グラティアヌスといった皇帝が「簒奪者」になってしまいありえない。視点によって自由にレッテル貼りができるわけです。ただ、いかなる立場にある人がいかなる見方をしたか、という問題のたて方をすればひとつの研究テーマとなるかもしれません。


しかし、『ローマ皇帝群像』などを読んでいるとむべなるかな、という気もします。

ローマ皇帝群像〈3〉 (西洋古典叢書)

ローマ皇帝群像〈3〉 (西洋古典叢書)

たとえばレギリアヌスなる人は、その名前が「王権」を意味するラテン語regnumに由来するので、皇帝になれるんじゃね?という冗談を言った翌朝に皇帝になった、と伝えられています。そんなわけあるか!と思うのですが…


ところで、アメリカの研究者R.MacMullenの論文に"How to Revolt in the Roman Empire"なる論文があるそうです。読んでみたいのですが、ちょっと手に入りにくいのが難点。気になる…