ブルクハルト再読了

週末用事があって帰省したのですが、移動時間を利用して以前(2010/6/3)紹介したブルクハルト著『コンスタンティヌス大帝の時代』を再読了しました。3年前とは違った理解ができたらいいな、というのが目標だったのですが…前回は何もわかっていなかったんだな、ということが分かってしまいましたorz いや、今でも全部理解できたわけではないのですが。


もともと文化史を描き出すことが目的だったブルクハルトのこの書物、必然文化史や精神史、心性史を扱う部分も多く、特に第五章から第七章は僕の現在の興味関心から遠く、ほとんど斜め読みになってしまい、反省しきり。次にこの書物を開くときの目標の一つにしたいです。

思うところがあったのは、その第七章でブルクハルトがローマ文明退化の一因として挙げる、マルクス=アウレリウス帝治下とガルス帝治下での疫病大流行とその結果としての変化です(303−6頁)。3世紀以降の美術作品における表情の陰鬱さ、醜さは当時の人種の退化の証明だとブルクハルトは論じています。おそらくこうした見方はもはや批判し尽くされているのでしょうが、それでもあえてこの部分を採り上げたのは、僕自身の体験に理由があります。


今日本では、チュニジア世界遺産である数々のモザイク画を展示する『古代カルタゴとローマ展』が各都道府県を巡っています(リンク先は公式サイト)。詳しくは公式サイトで確認していただきたいのですが、僕もこの展示会を見に行きました。実はあまり期待しないで行ったのですが(失礼な)、そこでそれらモザイク画の美しさ、荘厳さに圧倒されてしまったのです。さらに、主に展示されていたモザイク画はほとんどが3世紀に作られたものだと知ってもっと驚きました。3世紀と言えば、いわゆる「3世紀の危機」と呼ばれるローマ帝国の一大苦難の時代、という理解がありました。ブルクハルトにおいても3世紀は混乱の時代とされており、蛮族が帝国に侵入して略奪してまわり、疫病は流行し、ササン朝ペルシアは侵攻してくるわ、皇帝は何人も暗殺されるわで、とにかく暗い時代、というイメージがあったのですね。


そんなイメージが、チュニジアのモザイク画を目の当たりにして吹き飛んでしまいました。こんな美しく素晴らしいものを作り出せる人々が生きていた時代が、そんな危機の時代であったはずがない。確かに彫像は写実的ではなくなるし、デフォルメされたものになっていくけども、それを一概に退化の証拠とはできないだろう、何か他の理由があるだろう、と。


ブルクハルトは写実性を前提として彫像の変化=人種の変化、退化とみなしたわけですが、これは違うだろうと僕は思います。この辺に関してはいつか、美術史にもかかわってくるところですが、勉強してみたいところです。