『ギリシア』後のギリシア

東北学院大学オープン・リサーチ・センター公開講演会「『ギリシア』後のギリシア〜帝国支配下のアテネ〜」に参加してきました。講演者の一人が新幹線の運休のため遅れる、というアクシデントはあったものの、時間内にご到着、無事にお二方の講演を聴くことができました。


桑山由文先生の講演は、ローマ帝国元首政期のアテネに関するものでした。前4世紀末以降、アテネ地中海世界に対する政治的影響力は失われたものの、ハドリアヌスによってギリシア文化の象徴として再開発(というと語弊がある表現かもしれませんが)され、古典期の復興ではない、新たなるアテネに生まれ変わる。そしてこの時代に確立されたギリシア文化圏の「首都」としての位置づけが、現在に至るまでアテネという都市を特徴づける性格として影響しつづけているのだ、という内容でした。普段なかなか触れることのない時代について、今まであまり光が当たっていなかった元首政期ローマ帝国の東部の様子を知ることができ、勉強になりました。


一方小林功先生の講演は、紀元後3世紀以降の、東ローマ帝国(=ビザンツ帝国支配下にあったころのアテネに関するものでした。「文化の中心」としてのアテネは、キリスト教の影響を受けつつ5世紀まではその性格を保っていた。しかし6世紀から7世紀にはスラヴ人アヴァール人の侵入によって一時荒廃する。8世紀末に再びビザンツ帝国支配下で産業が盛んになるも、13世紀の第4回十字軍では「アテネ公国」が建てられたり、15世紀にはオスマン帝国支配下に入る。18世紀前半からナショナリズムの高騰により、近代ギリシア国家が成立するが、それは西欧(つまり「ギリシア人」以外)が主導した結果であり、現在の国家としてのギリシアは、彼らがイメージする「ギリシア(=古代ギリシア)」像に合わせて形成されたものだった、という内容でした。近代における国家形成の一例として、非常に興味深いと思いました。


ところで、小林先生が「アテネ公国」の辺りで「現在のスペイン国王の正式称号には『アテネ公』という称号が含まれている」とおっしゃっていたのが気になったので、調べてみると。


王 : スペイン、カスティーリャ、レオン、アラゴン、両シチリアナポリ及びシチリア)、エルサレムナバラグラナダ、トレド、バレンシアガリシアマリョルカ、セビーリャ、サルデーニャコルドバ、コルシカ、ムルシア、メノルカ、ハエン、アルガルヴェ、アルヘシラス、ジブラルタルカナリア諸島、東インディアス、西インディアス及び大洋の征服せらる島嶼及び陸地
大公 : オーストリア
公 : ブルゴーニュブラバント、ミラノ、アテネ及びネオパトラス
伯 : ハプスブルク(スイス・アールガウ)、フランドル、チロル、ルシヨン、バルセロナカタルーニャ君主)
領主(Señor) : ビスカヤ、モリナ
カトリック
国軍最高司令官
金羊毛騎士団(スペイン)団長


あまりに長い…ローマ皇帝はどのくらい長かったかな。コンスタンティヌス大帝とか、これと同じくらい長い名前だったような。