コンスタンティヌス大帝の剣闘士競技禁止令

先週末から先日まで、以前に翻訳したラテン語ギリシア語史料をもう一度読み直すという作業をやっていました。翻訳のミスが余りに多くて、とにかく、自分の勉強不足を痛感した、というところです。もっとしっかり勉強しなければ…

その合間に、というわけでもないのですが、論文を読んだりも。

David Potter, "Constantine and the Gladiators", Classical Quarterly 60.2, 596-606, 2010.
(デヴィッド・ポッター「コンスタンティヌスと剣闘士」)


コンスタンティヌス大帝は325年に剣闘士競技を禁止する旨の法令を出しています。『テオドシウス法典』という法令集に収録されたその法文に関しては、文章の意味について議論が交わされています。すなわち、剣闘士競技を「全面的に」禁止しようとしていたのか、それとも「剣闘士競技に出場させる刑罰」だけを禁止しようとしていたのか、という点についてです。古代ローマでは剣闘士競技が盛んでしたが、その剣闘士の相手として(つまり、ほぼやられ役、犠牲者として)戦わせる、という刑罰が存在していました。コンスタンティヌス大帝はキリスト教を優遇した皇帝として有名ですが、この剣闘士競技の禁止にもキリスト教の影響がある、と考える研究者もいます。


この論文では、まずコンスタンティヌスの法を「剣闘士競技に出場させる刑罰」のみの禁止と考えます。そしてこの法が発布された背景はキリスト教の影響ではなく、ローマの刑罰方法の変遷で説明可能だとしています。

僕自身の関心は法文の内容ではなく法文の背景にあったのですが、この論文はコンスタンティヌス大帝の政策にキリスト教の影響を見てきた以前の研究に反論するという点で、非常に興味深かったです。ちなみにこの論文は10頁ほどと短いほうですが、付録として「ディオクレティアヌスの迫害における刑罰」の一覧が添えられているので、本文自体はもっと短いです。


この論文で扱われた『テオドシウス法典』第15巻第12章第1法文については『法政史学』59号(2003年)で日本語訳を読むことができます。法文の解釈についてはこの論文と異なるのですが、テキストの解釈についてはこちらの方が詳しいです。それから、「全面的禁止」説に対する強力な反証となっており、この論文でも引用されている、いわゆる「ヒスペッルム碑文」については、

清水裕「ヒスペッルム勅答碑文をめぐる諸問題」『西洋史研究』新輯第38号、1-26頁

が詳しいです。この碑文中ではコンスタンティヌス大帝自身が、ある都市における剣闘士競技の開催を許可する旨述べています。