「西アジアにおける教育の起源と展開」

昨日、日本西アジア考古学会・東北大学高等教育開発推進センター共催公開セミナー「西アジアにおける教育の起源と展開」]に参加してきました。三つの講演とそれに対するコメントという形でセミナーは進み、どの講演も僕の研究対象とは隔たった時代を対象とするものでしたが、どの講演も非常に興味深く、様々なことを勉強させていただきました。


最初の講演は早稲田大学講師の小泉先生によって「古代西アジアの情報伝達」との表題のもとおこなわれました。およそ6000年前から4000年前(日本では縄文時代)の西アジア(現在のアフガニスタンやトルコ、イラン高原など)において、「文字」が生まれた過程と背景が、人々が集まって居住する地としての「都市」の形成と絡めて説明されました。当初文字は限られた人々の間でしか通用しない「メモ書き」程度のものでしたが、異なる言葉や文化を持った人々が集まる「都市」の発達とともに、意志伝達の手段としての役割を求められるようになる。特に話し言葉の違いを解決する必要が求められ、話し言葉を「文字」に表すことができる表音文字として、楔形文字が発達していった、とされます。


二つ目の講演は(財)中近東文化センター付属博物館学芸員である足立先生により「メソポタミアの書記学校と楔形文字体験」と題されておこなわれました。自身の発掘体験やその様子を伝えてくれるたくさんの写真を通じて、西アジアにおける考古学の現場を目の当たりにするような思いになりました。また、博物館における「楔形文字体験」についても紹介され、実際に僕も「楔形文字」を書く、という体験ができました。当日配布されたのは油粘土と竹ペンで、実際には粘土板と葦で刻まれていたそうです。当日配布されたものが↓

ヒッタイト楔形文字で「みやぎ」と刻まれています。ヒッタイト語の音を日本語の五十音に当てはめた表も配布されたので、「キケロ」と書いてみようと思ったら、「き」と「け」の音が同じ文字になるので、「キケロ」なのか「ケキロ」なのか「キキロ」なのか「ケケロ」なのか分からなくなってしまうことに気づきました(笑)


最期に東北大学の芳賀先生が「古代ギリシアにおける教育」と題して、人類の誕生からヘレニズム時代に至るまでの「教育」の形態について、非常に遠大な視点から論じてくださいました。多岐にわたった論点のなかでも、古代アテナイにおける「学びの転換」という話が興味深かったです。すなわち、「職業的教師(ソフィスト)による知識や技術の教授」から「ソクラテスが生みだした問答法=自ら問題をたてて問い、生まれた答えに対してさらに問いを重ねる」へという教育方法の転換は、現代日本における「高校までの教育」と「大学での教育」の間で起こる「学びの転換」の根本である、という点です。すごく納得した気分です。


最期にコメントの先生と講演者の間で質疑応答がなされ、セミナーは終了となりました。発表要旨集も配布され、またこの短時間に様々な知識を得ることができたことを踏まえれば、参加費無料というのは破格だな、と思いました。これからもこういう機会には積極的に参加していこう、と思います。