コンスタンティウス2世、ユリアヌス、マルクス・アウレリウス


明後日に迫っている日本西洋史学会ですが、今回僕が特に注目している発表の一つに、ユリアヌス帝についての発表があります。


中西 恭子(明治学院大学・兼) 15:00-15:40
「ありうべき「哲人皇帝」の宗教政策とはなにか―ユリアヌスの宗教政策と古代末期の歴史叙述にみるその帰結―」
司会 南川 高志(京都大学


「哲人皇帝」と言えば、ギリシア・ローマ史においては抜群の知名度を誇るマルクス・アウレリウスがすぐに思い浮かびます。というわけで、非常に安直ではありますが、ユリアヌスとマルクス・アウレリウスの名前がタイトルに入っている論文を読みました。

Gavin Kelly, "Constantius II, Julian, and the Example of Marcus Aurelius (Ammianus Marcellinus XXI, 16, 11-12)", Latomus 64, 2005, 409-16.
「コンスタンティウス2世、ユリアヌス、マルクス・アウレリウスの範例(アンミアヌス・マルケリヌス第21巻16章11-12節)」


著者のG. ケリーはアンミアヌス・マルケリヌス研究の急先鋒で、彼の最初の著書について以前紹介したことがあります(2010年9月5日記事)。この論文ではアンミアヌス・マルケリヌスの歴史書のうち、皇帝コンスタンティウス2世の死亡記事が研究対象になっています。ここでは、コンスタンティウス2世が反乱に対して極めて残酷・厳格に対処したことが述べられ、それとは逆に、マルクス・アウレリウスは反乱に対して寛容で、反逆者アウィディウス・カッシウスの仲間を許したことが述べられます。アンミアヌスは前者を批判し、後者の行動を徳が高いとして賞賛するわけです。


しかしケリーはそれだけではなく、マルクス・アウレリウスを引き合いに出すことによって、アンミアヌスはユリアヌスを暗に賞賛している、と論じます。その根拠は、ユリアヌスとカッシウスがそれぞれ反乱を起こした場所、そしてその知らせをコンスタンティウス2世とマルクス・アウレリウスが受け取った場所の類似性です。ユリアヌスは反乱を起こしたのちイリュリクム地方を通過して西部へと向かいますが、イリュリクムはマルクス・アウレリウスが反乱の知らせを受け取った地でもありました。これに対してコンスタンティウス2世が反乱の知らせを受け取ったのはシリア地方であり、こちらはカッシウスが反乱を起こした地です。すなわち、ユリアヌスとマルクス・アウレリウスの共通性・類似点が強調されている、というのです。


と、読んでみたは良いものの、まったく宗教政策の話が出てこない論文でした。そこは予習不足ということで…