文献メモ:保坂高殿「ローマ帝国:古代教会の生態学的マトリックス (シンポジウム 第六一回キリスト教史学会大会)」『キリスト教史学』65 (2011), 9-27頁。

キリスト教ローマ帝国に何をもたらしたか」というシンポジウムの第一報告である。報告者は、この問題の前提として、古代キリスト教の組織としての未熟性および、世俗に関する無関心という社会倫理的特性ゆえの、周辺社会に対するその影響力の欠如を指摘する。しかし、四世紀初頭に帝国が教会保護政策を採用したからには、社会に対する何らかの寄与を、教会がなし得るようになったと考えられる。教会がそれほどの影響力を獲得できたのはなぜか、そして帝国の関心を引いた教会の特性とは何であろうか。
キリスト教と、他のギリシア・ローマ宗教との違いは、倫理観や教義の有無のみならず、それぞれの活動拠点間の連携、もしくは経営の一体性にあった。ギリシア・ローマの宗教においては、たとえ同一の神を祀っていようとも、帝国各地の神殿が相互に連携したり、あるいは組織的一体性を形成することはなかった。ギリシアローマ市民の求心点はあくまで都市であり、ローマ市民権の付与を通じて都市を超越したローマ帝国にあっても、都市横断的な帝国観を持ち得たのは一部の支配階層のみであった。注意すべきはしかし、そのようなローマ的国家観が、教会に組織化のための範型を提供したことである。
キリスト教信徒はユダヤ人的民族意識を継承し、「新しい民」「新しいイスラエル」との自覚を持ち続けた。しかし、その再統合を武力によってではなく、祈りによって達成されるべき理念的目標として掲げ、世俗との関わりを絶ち、教会内の事柄に自己を限定しようとした。二世紀後半以降、教会組織の整備と諸教会間交流のなかで、ローマ教会はその首位権を主張し、都市横断的ヒエラルキーを構築しようとした。こうした動きを察知した帝国は、供儀の実行要求という形で、教会の組織的動きを是正しようと試みる。教会はこれに対し、供儀の拒否という抗戦体制を選択する。こうした状況において、帝国に残された選択は二つであった。一つは、教会を説得して伝統的ローマ秩序に呼び戻すこと。もう一つは、帝国の求心力回復のために教会を取り込み、その都市横断的・普遍的特性を利用すること。312年、コンスタンティヌスが後者を選択した。こうして、教会は独自の法および祭儀執行の権利を有する、帝国内の擬似民族国家として認知された。
コンスタンティヌス以降、帝国は教会の一致を求め、教会内抗争の調停を試みていく。いずれの党派を支援するかの基準は、その教義ではなく、教会一致の実現にとっての効率性に置かれた。帝国にとっての教会一致とは、教義の一致ではなく、教会が担うべき行政執行(その一部が司教裁判)に必要な統制であり、帝国は教会に、その霊的権威と行政指導力に基づく諸民族・諸都市共存の実現を期待していた。ところが、激化する異教徒との対立や、教会内抗争を自分たちでは解決できない教会を目の当たりにした帝国は、主流派(カトリック)に対立する諸派および異教徒を帝国および教会の指導者集団から力ずくで排除するに至る。
教会は、キリスト教徒の類意識に由来する広域組織性のゆえに、社会活動を効率的に機能させることができた。他方、その同じ類意識は「ユダヤ人」「異教徒」「異端」といった新たな神学的範疇を生み出し、新たな社会的差別の基礎を帝国にもたらすことになった。