論文メモ:西村「『ムーサに仕える輩たち』と後期ローマ帝国: 教養知識人と帝国・皇帝体制」
西村昌洋「『ムーサに仕える輩たち』と後期ローマ帝国: 教養知識人と帝国・皇帝体制」(特集 学びのネットワーク)『史林』101(1)、2018年、9–43頁。
目次
はじめに
第一章 後期ローマの知識人の修行と遍歴
第二章 教養のパフォーマンスと帝国の権威
第三章 過去と現在をつなぐ -教養文化のなかの皇帝像
むすび
・4世紀半ばの北アフリカの地方都市に生まれたアウグスティヌスは、修辞学教育を修め自身も教師として働くという当時の典型的教養人の経歴を持つ。彼らにとって故郷を離れ他都市の教養人と交流することは当然であり、同時に彼らは帝国官僚・行政官予備軍でもあったため、彼らの人的ネットワークは帝国統治のネットワークでもあった。アンティオキアのリバニオスはそうした人々を「ムーサの女神らに仕える」者と呼び、ブラウン『権力と説得』がそれを踏襲。本稿は彼らのネットワークを「学びのネットワーク」と定義してその特徴を論ずる。
・当時の教養人の典型的経歴は以下のようなもの。故郷での初等教育=文法学、修辞学、法学、哲学といった高等教育(場合によって大都市に留学)、その後官吏もしくは公的教師職登用を目指す。当時の学問の花形は修辞学であり、ギリシア・ローマ古典の理解と文体の模倣が帝国官僚としての必須技能だった。彼らが身に付けた教養(パイデイア)・擬古的文体が彼らを他から区別し、彼ら同士を結び付ける指標となった。「パイデイアは、帝国中の教養エリート層を結びつける紐帯としての機能を果たしていた」(15頁)。教育に携わりながら遍歴するエリートたちは演説や詩の発表を通じ、時に政治的有力者の知遇を得てのより安定したポスト獲得を目指した。当時は公的儀礼の場で弁論や詩が披露され、そのような機会は権力者の顕彰の場として、エリートにとってのチャンスだった。そうした遍歴を経て職を得たエリートたちには、後進を育成し彼らに活躍の場を提供するという役割が期待された。その際に彼らは自身が培ってきた人脈を駆使し、保護者(パトロン)として被保護者に便宜を図った。こうして帝国全体から見ればごく少数のエリートによる人的ネットワークが帝国中に張り巡らされることとなった。その形成は帝国の官僚制度の整備・中央集権化の進展によって促された。
・後期ローマ帝国における官僚機構の整備・中央集権化の進展という現象は、伝統的都市自治の蚕食、社会の抑圧・統制と解釈され、かつてはその負の面が強調されていたが、現在では肯定的に評価される面も。地方エリート層の官僚登用による帝国中央と地方の一体化、「腐敗」とみなされる現象の積極的意義の解明。この社会体制のなか、地方エリートは第一に属州総督にとって必要とされる人材であった。彼らにとって教養とそれに基づく立ち居振る舞いが共通の規範であり、総督はたとえ権力者であるとはいえ、その規範に沿って行動することを期待されるという制約を受けた。そこからの逸脱は非難の対象となり、書かれた非難はエリートの人脈を通じて各地に共有され、当該総督の名声・将来に深刻な影響を及ぼしえた。教養は最終的には皇帝に結び付けられるネットワークのなかで、支配者と被支配者が共有するイデオロギーを構成する一要素として機能していた。
・ローマ帝国の支配イデオロギーと教養人の関係を分析する際の史料として頌辞を用いる。頌辞は特定の場所・時間・状況に強く結びついたプロパガンダ文学であり、その点に注目するならば政治史の史料として格好の分析対象となる。加えて頌辞は公的な場で披露され、その聴衆は帝国の支配者階層に属する人々であった。彼らは頌辞の披露の場に参加することで、それが称える皇帝の支配の正統性に同意することになる。すなわち、頌辞の発表には支配の正統性の確認という機能があった。さらに頌辞は朗読ののち書き留められ、教養人同士で批評を交わしたり、後続の手本として利用された。それによって、支配の正統性の確認という頌辞の機能は、それが披露された空間に留まらず時間的にも拡大する。こうした機能ゆえに、頌辞からはローマ帝国支配のイデオロギーを読み取ることが期待される。
・頌辞言説から看取される帝国支配のイデオロギーを皇帝に期待される役割に注目して分析する。頌辞は皇帝を称賛する際、過去の皇帝や英雄を範例として挙げ、彼らと同等もしくは彼らを凌駕することを強調する。帝政後期の頌辞におけるその特徴は、共和政期ローマの範例が非常に多いこと。特にローマ拡大期の栄光の再現が皇帝に期待される。過去の偉大な出来事の再現への期待は頌辞に加え、当時の著作に広くみられる特徴であり、それはキリスト教資料にも共通する方法(ただしその範例は聖書からとられる)。キリスト教資料における範例の利用は著作家自身をも過去の人物になぞらえる効果を読者に与えることが近年指摘されており、その点を踏まえて頌辞を分析すると、彼らエリートは自身をキケロやウェルギリウスといった古典の作家になぞらえていると推測される。さらに皇帝が過去を再現することにより、黄金時代のローマもまた再現されるという「永遠のローマ」理念がここに現れ、その実現が皇帝に要請される。こうした言説の枠組みは、帝政というシステムが続く限りそれに対する疑念表明を許さず、皇帝を人々の期待を一身に担う存在として位置づける。教養人はそのイデオロギーの確認・再生産に寄与する存在だった。