文献メモ:浦野聡「論点開示(西洋史研究会大会共通論題『歴史とレトリック』)」
古代地中海世界におけるレトリックと歴史をテーマとするシンポジウム記録から、シンポジウム企画者による論点開示をメモ。
浦野聡「論点開示 (2015年度大会共通論題報告 歴史とレトリック: 古代地中海世界における虚構・真実・説得)」『西洋史研究』新輯45, 2016, 138–153頁.
目次
(導入)
1.古代地中海世界と修辞学・弁論術
2.修辞をめぐる歴史研究の技術的課題
3.『トロイコス』にみる実話と虚構
4.弁論における真実と説得
・西洋古代史研究と文学・古典学、特に修辞学研究との協働が生んだ二つの認識。第一に技術的・方法的側面について。近年の研究は文献史料を参照軸としてモノを解釈してきた考古学・美術史学の方法論に再考を迫りつつある。例えばスーザン・オールコックの景観史的地域研究は、ガッロの経済史研究を利用しつつ、ヘレニズム・ローマ帝政期のギリシア語著作における「人口減少」のトポスを指摘。文献史料と考古学的調査結果の著しい差異を指摘し、前者における修辞的仮構を主張した。これを受けて、歴史研究者も今後は修辞学に関する研究成果を取り入れる必要性をさらに感じるようになった。第二に、協働の必要性の思潮的・研究視角的側面。古代地中海世界の政治・社会におけるレトリック、修辞家・弁論家の役割に対する歴史研究の関心の高まり。古代世界におけるレトリックの重要性が改めて認識され、その政治的・社会的理由を解明しようとする流れがある。この二つの面から、修辞学・弁論家研究は重要な分野となっている。
・古代地中海世界と修辞学との関わりは、前者に住む人々が高度な言語コミュニケーションを必要としていたがゆえにその技術を重視し磨いていくなかで発展していった。地理的条件(断片化した地勢、気候、環境)ゆえに一般に都市国家を形成したこの世界の集団には、その内部での調和と一体性の追求、あるいは外部集団との提携により競争相手に勝利するために言語技術が必要だった。ローマ帝国による地中海世界の統一後も、ローマが被支配者に支配の恩恵配分をめぐる競争を促す方策をとったために、上層民はその恩恵を得るための手段としての修辞学・弁論術を高度に発達させていった。ギリシア・ローマの標準的都市空間が備えていた各種公共施設はいずれも言語コミュニケーションを促す空間として発展し、のみならずその空間を埋め尽くしていた各種金石文・彫像もまた、その建立を許可する集会における言語コミュニケーションの結果物だった。そこで称えられるエリートは他都市や帝国当局との仲介役でもあり、戦地においても戦争指揮者たるエリートは士気鼓舞のために雄弁を駆使した。「集団内で都市民や国民としての結びつきの意識を共有することが必要な限り、どこに行っても弁論コミュニケーションは、宗教信仰と並んで、集団形成・維持の文化的基盤であったとみなせよう。」(99頁)こうした公的領域での活用に加え、修辞学・弁論術の知識は私的領域でも動員された。特に教養ある貴族の邸宅では、その子弟は幼時から修辞学・弁論術の知識を教え込まれ、その教師として教養ある奴隷が働いていた。家の主人にとっても読書は重要な日課であり、朗読を担当する奴隷には確かな技術が必要だった。高い能力を持つ奴隷は大切に扱われ、やがて解放されて社会的上昇を果たすことも十分に期待できた。こうして、貴族・名望家の家、ひいては都市そして地中海世界は、結果的に弁論と修辞の発達に貢献するよう発展し、それによって統合と維持を果たしていた。それゆえ説得の技術たるレトリックを通じた人々のコミュニケーションのあり方、社会におけるレトリックの位置づけの変化を論じ跡付けることは、歴史家にとって最重要の研究課題になっているとさえ言える。
・しかしながら歴史家にとって問題となるのは、当時書かれた史料の仮構・虚構を見抜くことの困難さである。古代の人々が相手の説得のために仮構・虚構を記すことも辞さなかったとするならば、歴史家は史料の文言が事実に即さない可能性を慎重に考慮しなければならない。その一方、ある文言が修辞の産物である可能性を追求すればするほど、あらゆる情報が虚構の産物に見えてくるというジレンマをも抱えている。このような懐疑的態度の根元にはおそらく、プラトンやアリストテレスによるソフィスト批判がある。だが彼らによる批判は決して文学的・哲学的虚構に向けられていたわけではない。そもそもキケロに代表されるローマの知識人には、レトリックとは虚構や虚偽による欺瞞の技術であるという意識はなかった。彼らにとってあくまで弁論は「事実」に関わるものであった。それでも現代の歴史家にとって史料の仮構・虚構が問題となるのは、古代における「事実」と「虚構」の境界線を見定めることが私たちには難しいから。
・古代における「事実」と「虚構」の問題を、後1世紀~2世紀初頭の弁論家ディオン・クリュソストモスの『トロイア陥落せず』を事例に考察する。この弁論はトロイア市民に向け、法廷弁論風にホメロスを告発しその虚偽を暴き立てる、という作品。ディオンはホメロスの記述に反論するため、エジプトの神官の証言を借りるという体裁でトロイアを「勝者」とする歴史観を展開する。この弁論の製作意図について有力説は、ディオンがローマ支配を称揚する政治的意図から作成したと考える。しかし近年ある研究者は、ディオンの意図は歴史的「事実」に関する人々の通念(この場合はトロイア戦争におけるギリシア人の勝利)を動揺させ、その不確かさを示すことにある、と論じた。この説にも一理あるが、しかしディオンが同じ弁論でギリシア人を弁護していることに言及がない。そこにはギリシア人エリートとしての倫理観・価値観が示されている。その観点から弁論を眺めてみると、ディオンは一貫して当時の社会的通念、常識をもとに「ありそうなこと」を提示し、それを根拠としてホメロスの文言を分析していることがわかる。彼にとってホメロスの否定により得られる歴史的「事実」は、当時の倫理・価値観を支える過去の教訓であった。
・現代の歴史家が『トロイア陥落せず』の分析から得られる知見は、ディオンという1世紀の弁論家・哲学者の価値観、そして聴衆の関心を惹起するためにはどのような価値観・倫理観が有効とみなされていたのか、についての情報。その反面、この弁論をホメロスが語る神話・英雄譚に関する情報源とすることはできないし、ディオンの価値観・倫理観がどの程度まで社会に浸透していたのかまでは、この弁論だけではわからない。当時の社会の様子を知るためには別の弁論を手掛かりにしなければならない。そのためにディオンの別作品『エウボイア弁論』を取り上げる。最近ジョン・マーは、弁論に語られる市民生活の様子に疑問符を付けたオールコックとは反対に、その信憑性を高く評価した。ここではマーが取り上げていない事例のうち、エウボイア島のある放棄された農地とそこに住みついた狩人の父親をめぐる記述を分析する。オールコックはこの記述の信憑性を疑う。ディオンによればこの農地は皇帝により没収されそのまま放置されていたというのだが、オールコックによればギリシアにはそのような所領に関するほかの証拠がないからである。だが、オールコック説には欠点がある。そもそも没収されて皇帝領となった土地に関する史料の少なさおよび性質ゆえに、放置された皇帝領について知りうる可能性自体がほぼ皆無。従って、史料の不在イコール事実性の否定とみなすわけにはいかない。逆に当時の史料に広く証言される皇帝による没収地および動産の公売の成り行きは、ディオンが語る一部始終とうまく一致する。さらに言えば、品物の生産や流通が政治権力の安定性に大きく左右されていた古代世界にあって、大土地所有者の突然の失脚が地域経済に破滅的影響を与える可能性は小さくなく、ディオンの語る逸話はそうした事件の証拠なのかもしれない。そうであるならば、ディオンにとってその逸話は「読者や聴衆の常識に訴えるために持ち出された『ありうべきことeikon』」(108頁)だったのかもしれない。だとすれば、オールコックが「人口減少」のトポスを修辞的虚構と断じたのはおそらく早計である。そうしたトポスもある程度までは聴衆にも共有された「ありうべきこと」だったはずだから。むしろそこには、ポリスの繁栄と「衰退」のトポスが共存するという、帝政期ギリシアにおける興味深い社会的メンタリティのあり方が見て取られる。そこから生まれる新たな問題に取り組むことで、歴史関連諸学はその活路を見出していくことができるだろう。