コンスタンティウス2世のコンシストリウム

コンスタンティウス2世(在位337−361年)のconsistoriumについて調べました。「コンシストリウムconsistorium」というのは、訳すなら「枢密院」とか「御前会議」という意訳になるんでしょうか、現代日本の内閣に相当するような後期ローマ帝国の支配機関です。皇帝の周辺に仕え、軍事や法律のスペシャリストである重臣から構成されており、皇帝に政策上の助言をしたり、さまざまな相談を受けたり、といった仕事をしていたようです。
コンシストリウム自体についてはA. H. M. Jones, The Later Roman Empire 284〜602, 1964をまずは参照して、

The Later Roman Empire, 284-602: A Social, Economic, and Administrative Survey

The Later Roman Empire, 284-602: A Social, Economic, and Administrative Survey

次に特にコンスタンティウス2世の時代に特化したものとして、C. Vogler, Constance II et l'Administration Impériale, Strasbourg, 1979を参照して調べました。


その上で、355年のシルウァヌス反乱の際、コンシストリウムを構成していたであろう人々を、この事典を使って調べる、と。

The Prosopography of the Later Roman Empire: Volume 1, AD 260?395

The Prosopography of the Later Roman Empire: Volume 1, AD 260?395


『後期ローマ帝国人物誌』なんて訳があてられたりします。基本的に4世紀の人物について非常に多くの史料出典を示しながら一覧できるので、非常に便利です。で、結果として。

第一級の近侍comes ordinis primi・法制長官quaestor タウルス(Flavius Taurus)
神聖下賜金庫管理総監comes sacrarum largitionum ウルスルス(Ursulus)
官房長官付き特任官agens tunc pro magistro officiorum フロレンティウス(Florentius)
騎兵軍団長magister equitum・コンスル アルビティオ(Flavius Arbitio)
近侍comes(のちにガリ道長官praefectus praetorio Galliarum)フラウィウス・フロレンティウス(Flavius Florentius 10)


といった人々は、少なくとも在籍していただろう、ということがわかりました。でもまだまだ名前が分かる人物はいるかもしれないので、調べようと思います。