第61回日本西洋史学会参加記

さて、一昨日・昨日と第61回日本西洋史学会に参加してきました。とは言っても、一日目の講演には参加できなかったため(その代わりたくさん資料を集めることができました)、主に出席できたのは二日目の古代史部会。第一報告から最終報告まで聞くことができ、大きな刺激を得ることができたと思います。また、たくさんの研究者の方々とも面識を得ることができました。以下、各報告について。



第一報告者の篠原道法さんは紀元前4世紀前半のアテナイ社会を対象に、従来想定されていたポリス社会の閉鎖性を問題視して、ポリス市民と外国人との開かれた関係性を論じられました。会場からは篠原さんの示した解釈に対する通説的立場からの反論があり、また外国人に対する顕彰碑文の増加をまとめて示した表に対して賞賛の声が上がりましたが、同時に数値化に対しての慎重論も表明されました。


第二報告では三津間康幸さんがヘレニズム時代のシリアで作成されたいくつかの「王名表」をもとに、同じセレウコス朝シリアのなかでも二種類の年代記述方法があったことを明らかにされました。質疑応答では対象とされた時代の特殊性が指摘され、また史料そのものの性格についての説明がなされ、それを解明することの困難さが指摘されました。


第三報告者の丸亀裕司さんは、カエサル独裁時代の公職者選挙を対象とし、それ以前とは異なり、カエサルに認められるための軍事的・政治的実力が当選に必要となったことを論じられました。これに対し会場からは、実力というよりはカエサルに認められることが重要なのではないかという疑問が提示され、それに対して反カエサル派であっても当選した人物の事例がある、との答えがありました。


第四報告者の田邊有亮さんは「悪帝」として名高いドミティアヌス帝をとりあげ、彼が自らを「主にして神」と自称したか否か、という問題が検討されました。その結果、ドミティアヌスに対する呼びかけとしては確かに使用されていたものの、ドミティアヌス自身が自称した、あるいはその呼び方を強制したという証拠は無い、とされました。会場からは、ドミティアヌスを「主にして神」と呼んでいた人々の実体についての疑問が提示され、またdominus et deusというラテン語を「主にして神」と訳すことへの問題が指摘されました。また、ドミティアヌスの「悪帝」評価にその言葉が果たした役割についても問いが発せられました。


第五報告者の大谷哲さんは古代キリスト教研究において近年その存在がクローズアップされている「生ける殉教者」という存在のうち、のちの歴史叙述においてその名前が隠されてしまった人々をとりあげ、その理由を古代教会における「生ける殉教者」の特殊な立ち位置と、彼らの存在は司教にとって都合が悪かったことに求めました。質疑応答では「生ける殉教者」で「匿名」である人々だけをとりあげる理由が問われ、また「生ける殉教者」と司教の関係性についても疑義が表明されました。


第六報告者の大清水裕さんは北アフリカのある碑文を題材に、3世紀の北アフリカにおける都市参事会の実体を論じました。その結果北アフリカには「3世紀の危機」の影響が少なかったこと、また北アフリカにおけるローマ文化の浸透度が強調されました。質疑応答では碑文を建てた人物の出自に関する議論がなされ、また北アフリカ以外の地域との差異が確認されました。


第七報告では江添誠さんがヨルダンでの発掘調査をもとに、2世紀半ばから4世紀後半にかけての都市の衰退が論じられました。また同じ遺跡を調査したドイツ隊との見解の相違にも触れられ、遺跡の年代決定が争点になっていることが説明されました。加えて、都市の衰退の兆候を示すものとして、倒壊したままの柱と都市の大通りの狭小化が挙げられました。


第八報告者の中西恭子さんは「背教者」ユリアヌス帝に対する同時代人らの評価が検討され、ユリアヌスが理想とした「哲人王」と歴史叙述に現れる「哲人王」との食い違いが示唆されました。会場からは「哲人王」の実体と定義をめぐっての質問が出され、プラトンが論じる「哲人王」思想と紀元後4世紀における「哲人王」思想の違いや、同時代人の著作家それぞれの思想の違いをも考慮すべきとの意見が投げかけられました。


最終報告では向井朋生さんにより、紀元後5世紀後半に火山の噴火によって埋もれた都市であるソンマ・ヴェスヴィアーナの発掘調査が紹介されました。考古学的手法についての解説をも交えながら、時にユーモラスに語られる報告によって会場は盛り上がりました。ソンマにおけるワイン醸造場についても紹介があり、当時の盛んなワイン生産や、キリスト教が優勢になった時代においてもディオニュソス神像がワイン醸造場の守護神として祀られていたことが述べられました。


全体としては、ギリシア1、ヘレニズム1、ローマ6という内訳で、また「3世紀の危機」に関連する3つの報告がなされたことが印象的でした。同じ3世紀でも、北アフリカ、シリア、イタリアという異なる地域では「危機」の様相がまるで異なっている、という点が確認されたように思います。特に考古学からの二つの報告がそれぞれ「衰退」と「繁栄」を論じるものであったことは、古代地中海世界の地域的多様性を如実にあらわしたものだったと思います。


と、あくまで僕の理解した限りでは、このような報告の流れだったと思います。今回は体調が良かったこともあり、しっかりと学会で学び、また学会を楽しむことができたように思います。来週は歴史学研究会大会に参加する予定なので、そちらでもしっかりと参加できるようにしたいです。