皇帝の推戴儀礼について

メロヴィング朝 (文庫クセジュ)

メロヴィング朝 (文庫クセジュ)

ジーヌ・ル・ジャン著『メロヴィング朝』(加納修訳・白水社文庫クセジュ 2009年)53頁に以下の記述があります。


「トゥールのグレゴリウスが六世紀に関して描いている唯一の国王即位の儀式は、大盾の上に載せる儀
式であるが、これは四世紀初頭に軍隊によって選ばれた皇帝のために、東方から伝わった兵士の儀礼
ある。選出に続いて王の巡行が行なわれる。この巡行は、国内掌握の一形態であり、王が空間を支配し、
この空間を豊饒にする能力を有することを象徴的に表現する行為であった。」(強調部は引用者による)


強調部で「おや」と思いました。「四世紀初頭に軍隊によって選ばれた皇帝」であり、「大盾の上に載せ」られた皇帝として思い当たるのは、「背教者」ユリアヌスしかありません。アンミアヌス・マルケリヌス『歴史』20巻17章4節でそのことが述べられています。そこでアンミアヌス・マルケリヌス『歴史』のコメンタリーにあたってみると、該当部分について詳しい説明がありました。

Philological and Historical Commentary on Ammianus Marcellinus XX

Philological and Historical Commentary on Ammianus Marcellinus XX


それによると(92-3頁)、アンミアヌスの該当部分はタキトゥス『同時代史』4巻15章2節の語句に非常に類似しています。


同時代史 (ちくま学芸文庫)

同時代史 (ちくま学芸文庫)


「カンニネファテス族には名門の生まれで豪胆なブリンノなる者がいた。彼の父はローマに対し大胆にも敵対行為を多く重ね、カリグラの馬鹿馬鹿しいブリタンニア遠征を嘲弄しても処罰されなかった。そのためブリンノは、叛逆の家系という名前だけで人気を得ていた。そこで彼は部族の習慣に従い、楯の上に載せられ肩に担がれ、上下に揺さぶられ、指導者に択ばれる。」
(國原吉之助訳『同時代史』ちくま学芸文庫、2012年、296頁;強調部は引用者による)


タキトゥスの言を信頼するならば、推戴した皇帝を大盾に載せるという慣習は東方ではなくゲルマン民族に起源があると言えます(カンニネファテス族はガリア北部のゲルマン人の一派)。アンミアヌスのコメンタリーによればローマ人にはやはりそういった慣習はなく、ユリアヌスが盾に載せられたのは、当時ユリアヌスの下にあった軍隊はほとんどがゲルマン人だったためとのことです。


しかし同時にこの慣習は東部帝国に伝わり、ビザンツ時代にまで生き残っていたようです(例えばゲオルグ・オストロゴルスキー著、和田廣訳『ビザンツ帝国史』恒文社、2001年、84-5頁)。逆に、ル・ジャンが前掲書で後に述べるところによると、盾の上に王を載せる習慣はメロヴィングでは消滅し、ローマ的な着座式に代わりました(54頁)。つまりゲルマン的慣習が東ローマ(ビザンツ)帝国で生き残り、ローマ的慣習がフランク王国に受け継がれたわけです。文化交流というか、文化の逆転というか、面白い現象だと思いました。ただし、ビザンツでは盾の上に載せるだけが推戴の儀式ではなかったことに注意しなければなりませんが。


ところで余談ながら、購入したばかりの『同時代史』がこんなにも早く役に立って嬉しかったり。