ヨウィアヌス帝の即位

昨日読んだ論文:Noel Lenski,"The Election of Jovian and the Role of the Late Imperial Guards",Klio 82, pp.492-515.


ヨウィアヌスという、ユリアヌス以降テオドシウスまでのマイナーな(失礼)皇帝たちのなかでも一際マイナーな皇帝の即位についての論文。確か皇帝になってから亡くなるまで8カ月くらいという、かなり短い治世だったようです。Wikipediaのヨウィアヌスの項目も4行くらいしかないですね。


論文の内容としては、彼がなぜ、誰の手で皇帝に選出されたかという問題に答えるものです。「背教者」ユリアヌス帝がペルシア遠征で戦死したのちヨウィアヌスが選出されたのですが、彼はペルシアと屈辱的とまで評される講和を結び、帝国に帰還する途上で亡くなっています。4世紀の歴史家アンミアヌスはその選出に際し、誰を皇帝にすべきか揉めに揉めたため、軍団の突然の歓呼によってヨウィアヌスが皇帝とされた、と記しています。さらにアンミアヌスはユリアヌスに好意的なこともあり、彼に対しては非常に辛辣な評価を下しています。いわく、「ほめるのもけなすのも適当でない」(だったかな、うろ覚えです)。このためアンミアヌスによるヨウィアヌス選出の様子の記述はあまり信頼できないものとされてきました。そして他の歴史家たちが記す、ヨウィアヌスの皇帝選出には「軍団の一致した同意があった」との記述が信頼されてきました。


これに対しLenskiは、他史料が記す「軍団の一致した同意」は、皇帝が選出され姿を見せたとき軍団によってなされる形式的な承認にすぎないのだ、と指摘します。すなわち、アンミアヌスが記した混乱ののちにヨウィアヌスが選ばれ、「軍団の一致した同意があった」のだと論じています。そしてヨウィアヌスを選出した主体はユリアヌスの治世で冷遇されたキリスト教徒のエリート軍人たちであり、この集団からのちの皇帝ウァレンティニアヌス、ウァレンスが出たのだ、と述べています。


前半部の、アンミアヌス記述と他史料の比較過程が非常に面白く読めましたし、ヨウィアヌス〜ウァレンスの諸皇帝の軍人経歴も確認できたので非常に有益だったと思います。もっと早く読んでおくべきでした。